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  • 【短編小説7】 

    月の契約

    彼は「月の研究家」と名乗っていた。
    町の片隅にある古びた研究室。誰も寄りつかないその場所で、彼は日夜、月についての研究を続けていた。研究室の窓からは、夜になると大きな満月がよく見える。それはどこか不自然なほどに近く、そして美しかった。

    「月は、人間に無限の力を与えてくれる存在だ。」
    そう語る彼に、町の人々は首をかしげた。月にそんな力があるはずがない。けれど彼の研究室には奇妙な機械や図面が所狭しと並び、まるで何かを証明しようと急いでいるかのようだった。

    ある日、町を訪れた青年が研究室を訪ねてきた。
    「月の力を信じているんですか?」
    その問いに、研究家は目を輝かせて答えた。
    「もちろんだとも。だが、それには条件がある。」

    彼は机の引き出しから、一枚の契約書を取り出した。それは月と交わす契約書だと言う。青年は目を見張った。

    「月と契約する?」
    「そうだ。月は力を与えるが、その代わりに『対価』を求める。」

    青年は興味本位で契約書を手に取り、中身を見た。そこにはこう書かれていた。

    「あなたの最も大切なものを捧げよ。その代わり、月はあなたに何でも一つ、願いを叶える。」

    青年は笑った。「ばかばかしい。そんな話、誰が信じるんですか?」
    だが研究家は静かに言った。
    「試してみる勇気がないのかね?君の願いが本物なら、月は必ず応える。」

    その夜、青年は好奇心に負けて契約書に署名をした。研究家が持ち出した奇妙な装置が動き始め、月明かりが部屋を満たした。

    「さあ、願いを言いたまえ。」

    青年は考えた。金も名声も欲しいが、それよりも……「不老不死の力が欲しい」と願った。

    その瞬間、部屋中が眩い光に包まれた。そして青年は感じた。身体が軽くなり、疲れも老いも感じなくなる。「やった!これで永遠に生きられる!」

    しかし、ふと気づいた。研究家がいない。いや、研究室自体がなくなっていた。見渡せば、町も人も消え失せ、彼は何もない空間にぽつんと立ち尽くしていた。

    それから何年、いや何千年が経ったのだろうか。月だけが彼の頭上に輝いている。話し相手もなく、終わりのない孤独の中で、彼は理解した。

    「最も大切なもの」――それは自分の人生そのものだったのだ、と。

    月は静かに彼を見下ろしていた。その輝きは変わらず美しいが、どこか冷たく、残酷な光だった。

    青年は天を仰ぎながら、叫び続けた。しかしその声が届くことはなかった。