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  • 【短編小説】

    消える山

    山間に住む写真家の陽介は、不思議な体験をしていた。
    近くの山を撮影すると、どうしても写真に山が映らないのだ。最初はカメラの不具合だと思い新しい機材を購入したが、結果は同じ。目の前にそびえる山は確かに存在しているのに、写真にはただの青空が写るだけだった。

    不安になった陽介は、地元の喫茶店で噂を耳にした。「あの山は、人を選ぶ山だ」と。地元では昔から、特定の人だけが山の異常を目にするという伝説があった。

    その喫茶店で陽介は、奇妙な老人と出会う。老人は皺だらけの手でゆっくりとコーヒーカップを傾けながら、陽介にこう言った。
    「お前さん、あの山に触れたな」

    陽介は驚いて頷く。
    老人は続けた。「あの山はな、もともと存在していない。ただ、人の欲望や恐れが形を作った幻のようなもんだ。そして、その山を見た者はやがて山に取り込まれる運命だ」

    老人の声はどこか淡々としていたが、陽介は背筋が凍るのを感じた。「取り込まれるってどういう意味ですか?」
    老人はにやりと笑い、「自分で確かめるといい」と言い残し、店を出ていった。

    その夜、陽介は夢を見た。夢の中で、彼は山を登っていた。山の空気は異様に重く、聞こえるのは自身の荒い息遣いだけ。頂上にたどり着いた瞬間、山が彼に語りかけてきた。
    「お前も私の一部になれ」

    陽介は目を覚ましたが、身体に違和感を覚えた。部屋の鏡を見ると、彼の瞳が黒く変色し、皮膚には苔のようなものが生えていた。恐怖に駆られた陽介はカメラを持ち、最後にもう一度山を撮影しようと決意した。

    翌朝、地元の人々は陽介が住む家を訪れたが、彼の姿はなく、残されていたのは奇妙な一枚の写真だった。そこには、以前はどこにも映らなかった山がくっきりと写っていた――ただし、その山の中腹には、木々に溶け込むように陽介そっくりの人影が見えたという。

    喫茶店の老人は、その写真を見ながら静かに微笑んだ。彼の目の奥にも、同じ黒い瞳が光っていたのだ。

  • 【短編小説⑤】

    消える山小屋

    登山が趣味の男、吉村は、山奥にある「幻の小屋」の

    噂を聞いた。
    その小屋は、地図にも載っておらず、現れる場所が

    毎回違うという。迷い込んだ登山者を助けると

    言われる一方、一度入ったら出てこられなくなるという

    不気味な話もあった。

    吉村はその噂を一笑に付しつつも、どこか興味を惹かれ

    週末に山に入ることにした。

    天気は快晴だったが、山道は予想以上に険しく、日が暮れる頃には体力が尽きかけていた。さらに運の悪いことに

    突然霧が立ち込め、道に迷ってしまった。

    「参ったな……」

    そのとき、ふと霧の向こうに明かりが見えた。近づいてみると、そこには小さな山小屋が建っていた。

    「まさか……」

    吉村は噂を思い出し、少し躊躇したが、寒さに耐えきれず

    扉を叩いた。

    「誰かいますか?」

    中からは年配の男性が顔を出した。
    「おや、迷い込んだのかい?さあ、入って温まるといい。」

    中は思ったよりも広く、暖炉の火が心地よく燃えていた。

    吉村はほっとしてお礼を言い、出されたスープを飲みながら話をした。

    「あなたがこの小屋の主人ですか?」

    「まあ、そうだね。長いことここにいる。」

    主人は穏やかに微笑んだが、どこか影があるようにも見えた。吉村は少し違和感を覚えたが、疲れていたので深く考えず、そのまま眠りについた。

    翌朝、目を覚ますと、主人の姿はなく、小屋の中もひどく

    荒れ果てていた。暖炉の火は消え、床には埃が積もって

    いる。まるで何十年も人が住んでいないかのようだった。

    「どういうことだ……?」

    吉村は慌てて外に出た。すると小屋の周囲には無数の足跡があった。それはまるで、何かが小屋を中心にぐるぐると取り囲んだように見えた。

    さらに奇妙なことに、夜に見た明かりがどこからともなく再び点滅しているのが遠くに見えた。それは昨夜の小屋の場所とは明らかに違っていた。

    恐怖を感じた吉村は、来た道を必死に下山した。幸い、昼過ぎには無事に山を降りることができたが、振り返ると、あの小屋のあった場所には何もなかった。

    町に戻った吉村は山の噂を地元の人に尋ねた。すると、

    老人がぽつりと言った。
    「あの小屋を見たのか……。昔、あそこで助けられた人たちが何人もいるそうだ。でも、不思議なことに、その中には山から戻れなかった人もいるらしい。」

    吉村はそれ以上聞くことができず、

    足早にその場を立ち去った。

    今でも山に行くと、あの霧と明かりを思い出すことがある。そして心の中でこう呟くのだ。

    「もう二度と、あの小屋には近づかない。」