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  • 【短編小説 リセット】

    リセット

    大輝は、毎朝同じ夢を見て目を覚ます。夢の中では、自分が何か重要なことを忘れないように必死でメモを取っている。だが、目を開けた瞬間、その内容を思い出すことはできない。

    彼には奇妙な秘密があった。それは、毎日記憶が完全にリセットされてしまうことだ。

    「昨日、俺は何をしていた?」

    大輝は目覚めたばかりのベッドで呟く。しかし、その問いに答えるものは誰もいない。枕元にはノートとペンが置かれており、「今日は仕事が休みだ。ゆっくり休め」と書かれたメモがあった。どうやらこれは、昨日の自分が書いたものらしい。

    大輝の記憶は、一日の終わりにすべて消えてしまう。その代わり、彼はノートに自分の一日を詳細に記録し、それを毎朝読み返すことでなんとか生活を保っていた。

    「今日は何をするんだろう?」

    ノートをめくると、最近の彼が仕事を辞め、専念している「計画」が記されていた。それは、「記憶がリセットされる原因を突き止める」というものだった。

    その日、大輝は図書館に向かい、医学書や心理学の本を手当たり次第に漁った。しかし、特異な記憶喪失の事例について記された本は見つからない。

    「どうして俺だけ、こんなことになったんだ……」

    帰宅途中、彼は不意に奇妙な既視感を覚えた。同じような道を以前にも歩いた気がする。だが、それはいつのことなのか思い出せない。

    ふと目の前に現れた街角の喫茶店。大輝はそこに引き寄せられるように足を踏み入れた。

    「いらっしゃいませ。」

    店内には年配のマスターが一人で切り盛りしているようだった。大輝が席につくと、マスターがほほえみながら言った。

    「また来てくれたんだね。」

    「え?」

    大輝は首をかしげた。

    「初めて来たと思うんですけど……」

    マスターは困ったように笑った。

    「そう言うだろうね。でも君、ここに何度も来てるんだよ。いつも同じ質問をして帰っていくんだ。」

    「同じ質問?」

    「君の記憶の話さ。」

    マスターの言葉に驚いた大輝は、彼から詳しい話を聞くことにした。どうやら、大輝はこの店を何度も訪れており、自分の記憶がリセットされる原因について尋ねていたらしい。そしてそのたびに、マスターは次のような答えをしていた。

    「それは、君が選んだことなんだ。」

    「選んだ? 俺が?」

    「詳しいことは話せない。でも、君は何かを守るために、そうする道を選んだんだよ。」

    「何かを守る?」

    マスターはそれ以上語ろうとはせず、ただ一言だけ付け加えた。

    「答えは、君自身が知っているはずだ。」

    その夜、大輝は家に帰り、自分のノートを改めて読み返した。何度も繰り返される同じような記録の中に、ある一文が目に留まった。

    「何かを守るために、この記憶を犠牲にした。」

    「やっぱり……俺が自分で決めたことなのか?」

    さらにノートを読み進めていくと、あるページに他とは違う内容が書かれていた。

    「次に思い出すべきは、明子。」

    「明子……誰だ?」

    翌日、大輝は明子という名前を手掛かりに調べ始めた。そして、彼女がとある介護施設で暮らしていることを突き止めた。

    施設を訪れると、車椅子に座った老婦人が目の前に現れた。大輝は彼女に会った覚えはなかったが、なぜか強く惹かれるものを感じた。

    「お会いしたこと、ありますか?」

    そう尋ねると、明子は優しく微笑んだ。

    「あなた……健ちゃん?」

    「健ちゃん?」

    「私の息子……でも、もう亡くなってしまったの。」

    その話を聞いて、大輝の頭の中に断片的な記憶が蘇った。彼は明子の息子・健一の親友であり、健一が亡くなったあと、明子の面倒を見ようと決心したことを。

    そして、記憶がリセットされる症状は、ある実験的な治療を受けた結果だった。大輝は自分の辛い過去を忘れる代わりに、日々明子を訪れて幸せな時間を過ごすことを選んだのだ。

    「忘れてしまっても……毎日あなたに会えてよかった。」

    明子の言葉に、大輝は涙が止まらなかった。その日もノートに新たな一文を記した。

    「忘れてもいい。ただ、大切な人を守る。それだけでいい。」

    そして翌朝、大輝はまた目を覚まし、ノートを手に取る。そこには、こう書かれていた。

    「今日も明子に会いに行こう。」