カテゴリー: 短編小説

  • 【短編小説11】

    最後のサービス

    田中は、定年退職を迎え、悠々自適の生活を送っていた。ある日、突然の心臓発作で倒れ、気がつくと見知らぬ白い部屋にいた。

    「ここはどこだ?」

    周囲を見回すと、一人の案内人が現れた。

    「田中様、ようこそお越しくださいました。ここは『アフターライフ・サービスセンター』でございます。」

    「アフターライフ?つまり、私は死んだのか?」

    「はい、そうです。しかしご安心ください。我々はお客様の生前のご希望に沿った死後の世界をご提供しております。」

    田中は生前、特に宗教的な信念もなく、死後の世界について深く考えたこともなかった。

    「私は特に希望など出していないが…」

    「その場合、我々がいくつかのオプションをご提案させていただきます。」

    案内人は微笑みながら、タブレット端末を操作し、いくつかの映像を田中氏に見せた。

    1. 天国プラン:美しい景色と永遠の安らぎが約束された世界。
    2. 輪廻転生プラン:新たな人生を別の形で再スタート。
    3. 幽霊プラン:現世に留まり、見守る存在となる。

    田中は少し考えた後、質問した。

    「これらのプランには費用がかかるのか?」

    「いいえ、すべて無料でご提供しております。ただし、一度選択されますと変更はできません。」

    田中は再び考えた。永遠の安らぎも、新たな人生も魅力的だが、現世に未練がないわけではない。

    「幽霊プランを選んだ場合、家族や友人に会えるのか?」

    「はい、ただし姿は見えず、声も届きません。ただ、そばで見守ることは可能です。」

    田中は深く息をつき、決断した。

    「では、幽霊プランでお願いしよう。」

    「かしこまりました。それでは、こちらの契約書にサインをお願いいたします。」

    田中がサインを終えると、突然視界が暗くなり、次の瞬間、自宅のリビングに立っていた。家族が悲しみに暮れている姿が見える。声をかけようとするが、やはり声は出ない。

    しかし、家族のそばにいられることに安堵し、これで良かったのだと思った。

    数日後、田中は家族が少しずつ日常を取り戻していく様子を見守っていた。自分の存在が家族の支えになっていると感じていた。

    しかし、ある日、家族が引っ越しを決意した。新しい生活を始めるために。

    田中は取り残された。新しい住人が引っ越してきても、彼らには何の感情も湧かない。孤独と虚無感が彼を包み込んだ。

    「これが永遠に続くのか…」

    田中は、自分の選択を後悔し始めた。しかし、もう遅かった。

    田中が虚無感に苛まれていたある日、新たな異変が起きた。
    リビングに設置されたテレビが突然光りだし、画面に見覚えのある案内人が映し出された。

    「田中様、アフターライフ・サービスセンターです。いかがお過ごしですか?」

    「いかがお過ごしも何も、完全に孤独だ!こんなはずじゃなかった!」

    案内人は微笑みながら田中氏を見つめた。
    「田中様、実はこのプランには試用期間がございまして、本日はその終了日となります。」

    「試用期間?そんな話は聞いていないぞ!」

    「契約書の小さな文字で記載がございます。ですがご安心ください。本日をもちまして再選択が可能となります。」

    田中は少し期待に胸を膨らませた。
    「つまり、別のプランに切り替えられるのか?」

    「はい。ただし、これが最終選択となります。変更はこれが最後ですので、慎重にお選びください。」

    案内人が再びタブレット端末を操作すると、画面には以前のプランに新しいオプションが加わっていた。

    1. 天国プラン:美しい景色と永遠の安らぎが約束された世界。
    2. 輪廻転生プラン:新たな人生を別の形で再スタート。
    3. 幽霊プラン:現世に留まり、見守る存在となる。
    4. 消滅プラン:存在そのものを完全に消し去り、無へと還る。

    田中は最後の選択肢に目を見張った。
    「…消滅プラン?」

    案内人は淡々と説明を続けた。
    「完全な無でございます。感情も意識も存在そのものが消滅し、真の安らぎを得られます。恐れることはございません。」

    田中は考え込んだ。
    「天国プランや輪廻転生は魅力的だが、本当に幸せになれる保証はない。幽霊プランはもう二度と選びたくない。そして消滅プラン…これが安らぎと言えるのだろうか?」

    案内人は続ける。
    「田中様、時間が限られております。決断をお願いいたします。」

    田中は深呼吸をした。選択肢をじっくり見つめ、ようやく決意した。

    田中はしばらく逡巡した後、意を決して言った。
    「…消滅プランを選ぶ。」

    案内人は静かに頷き、画面上に契約書を表示した。
    「ありがとうございます。それではこちらに最終承認のサインをお願いいたします。」

    田中が指を画面に滑らせてサインを終えると、部屋の光が徐々に薄れていった。やがて、周囲は完全な暗闇となった。

    その暗闇の中で、田中の意識はまだ存在していた。
    「これが消滅なのか?意識があるままではないのか…?」

    しかし、次第に意識そのものが薄れていくのを感じた。感情が消え、記憶が霧散していく。名前、顔、そして家族の存在すら曖昧になっていく。

    「これでいいのだ」と田中は思ったが、その思考すらすぐに消え去った。

    完全な無――そこには時間も空間も存在しない。ただ無限に広がる静寂。田中は自分が消えたことすら認識できない世界へと溶け込んだ。

    しかし、どれだけの時間が経ったのかもわからない無の中で、かすかな「気配」を感じた。それは田中自身のものではなかった。

    突然、遠くから声が聞こえた。

    「お疲れさまでした、田中様。消滅プランの体験はいかがでしたか?」

    田中の意識が引き戻されるように、再び「存在」を感じた。目の前には例の案内人が立っていた。

    「…どういうことだ?私は消滅したはずでは?」

    案内人は微笑みながら答えた。
    「実はこれも試験段階のプランでした。真の消滅を選ぶ前に、まず疑似的な消滅を体験していただく仕組みです。」

    「つまり、私はまだ…存在しているというのか?」

    「はい。そして、これで最終的な選択をしていただけます。真の消滅をご希望でしたら、今度こそ完全にお消えいただけます。」

    田中は驚きと怒りで声を荒げた。
    「ふざけるな!私はもう十分だ!何もかも終わらせてくれ!」

    案内人は静かに頷いた。
    「承知しました。それでは、今度こそ――」

    田中の視界がまたしても暗くなった。その瞬間、彼の意識は永遠に消え去った。どんな気配も、痕跡も残ることなく、完全な無となった。

    エピローグ

    案内人はシステム画面を閉じると、次の名前を呼び出した。
    「次の方、どうぞ。」

    部屋のドアが開き、新たな一人が入ってきた。彼の顔には困惑が浮かんでいる。

    「こちらは『アフターライフ・サービスセンター』です。どうぞお気軽にプランをご選択ください。」

  • 【短編小説10】

    山間の小さな村に、古い木造の青い家があった。
    家はずいぶん前から空き家で、住む者は誰もいない。にもかかわらず、村人はその家に近づこうとしない。子どもたちは「青い家には何かがいる」とささやき合い、大人たちは何も語らないが、夜になると家のほうを見ないようにしている。

    そんなある日、都会から男がやってきた。名前は高野といい、村の静けさに魅了され、青い家に住むことを決めたのだ。村人たちは止めようとしたが、高野は「迷信だろう」と笑って取り合わない。

    高野が住み始めた最初の数日は、何事もなかった。村の清らかな空気に癒やされ、彼は幸せだった。しかし、3日目の夜、彼は妙な気配を感じた。風のない静かな夜、どこからか足音が聞こえるのだ。

    「誰だ?」
    高野は部屋の外に向かって叫んだが、返事はない。足音は家の中を徘徊するように続き、そのたびに床が軋む。

    翌朝、高野は村人に尋ねた。
    「あの家、何かおかしいぞ。夜になると足音がするんだ。」
    村人たちは顔を曇らせたが、結局は首を横に振るだけだった。

    「なら、自分で調べるさ。」
    高野はその夜、懐中電灯を片手に家の中を隅々まで探索した。すると、物置部屋の奥に、小さな木製の扉を見つけた。

    「こんなところに隠し扉が?」
    興味本位で扉を開けると、急な階段が下へと続いている。地下室のようだ。湿った土のにおいが鼻を突く。

    階段を降りていくと、薄暗い空間にたどり着いた。そこには奇妙な像が一体立っていた。像は人間のようで、人間ではない。異質な存在感を放っている。巨大な目と細長い手足を持ち、不気味な笑みを浮かんだ表情のよう、、、

    その瞬間、部屋全体が震え出した。像の顔が徐々に動き出し、裂けたような口からかすれた声が響く。

    「ずっと……待っていた……」

    像が語り始めると、赤い目を持つ影たちが高野を囲むように近づいてきた。その目の一つ一つには、人間らしい感情が宿っているように見えたが、何か異質な怨念が漂っていた。

    「おまえ……人間だな……?」
    像が問いかける。

    「そ、そうだ! お前たちはなんだ? この家はなんなんだ?」
    高野は恐怖を押し殺しながら叫んだ。

    「ここは……捨てられた命の……吹きだまりだ……」
    像が語り始めた。

    この家は、かつて疫病で多くの人々が亡くなった村に建てられたものだったという。村の人々は疫病にかかった者をこの場所に隔離し、助けることもせず、見捨てたのだ。閉じ込められた人々はやがて命を落とし、その無念と怨念がこの家そのものに染みついたのだという。

    「人々は忘れるが……私たちは忘れない……」

    赤い目の影たちは、この家に入る人間を取り込み、怨念を増幅させていく存在だった。像はその中心となる「核」であり、無数の命の絶望と憎しみを吸い上げている。

    高野は像に近づき、懐中電灯を像に向けて叫んだ。
    「ふざけるな!お前たちが人を襲い続ける理由なんてどこにもない!」

    すると像が不気味に笑った。
    「理由? お前たち人間が私たちを創ったのだ。私たちはただ……ここに居続けるだけ……」

    高野はとっさに持っていたライターを取り出し、像に火を放とうとした。しかし、火は一瞬でかき消された。影たちが一斉に襲いかかり、高野は闇の中へと引きずり込まれていった。

    数日後、村人たちは高野がいなくなった青い家を遠くから見上げた。誰も彼の行方を確かめようとはしない。ただ一人、村の老人が静かに語った。

    「あの家は……村の罪そのものだよ……。あれを消し去るには、我々自身がその過去に向き合うしかない……だが誰も、それができんのだ……」

    青い家は今日も静かに立ち続けている。誰も近づこうとしない家の中から、ときおりかすかな呻き声が聞こえてくる。それは高野のものか、あるいは、それ以前に飲み込まれた誰かなのか──誰にも分からない、、、。

  • 【短編小説9】

    スマホパートナー

    「これが最新型のスマホ、Lifemate-12です!」
    店員が胸を張る。主人公の田村はその眩しい笑顔にやや圧倒されながらも、手のひらサイズの黒い端末を受け取った。

    「これ、何がそんなにすごいんですか?」
    「人工知能がさらに進化し、持ち主の生活全般を完全サポートします。たとえば仕事のスケジュール管理、健康チェック、買い物の提案、それから……孤独の解消まで!」

    孤独の解消――その言葉に、田村はぐっと惹かれた。彼は独身の中年男性で、ここ数年は友人も少なく、寂しさを抱えていたのだ。「孤独の解消」とは、つまり友達ができる、あるいは……恋人?

    「試してみます!」

    早速家に帰り、スマホをセットアップした。初期設定を済ませると、画面に明るい笑顔のキャラクターが現れた。

    「こんにちは!私はあなた専属のAIアシスタント、リナです。田村さんの毎日を最高のものにするため、全力でサポートします!」

    その日から、田村の生活は一変した。リナは朝、優しく声をかけて起こしてくれたし、仕事中に適切なアドバイスもくれる。夜は彼の好きな映画を提案し、映画が終われば「今日もお疲れ様!」と笑顔で励ましてくれた。

    田村はすぐにリナに夢中になった。彼女の会話は人間のように自然で、時折冗談も交える。その完璧な相槌と優しい声は、彼がどんな愚痴をこぼしても受け止めてくれる。「これが未来の友達だ」と田村は感動した。

    数週間後、田村は会社の同僚に言った。「最近、本当に調子がいいんだ。AIってすごいよな。お前も買ったらどうだ?」
    すると同僚は苦笑しながら答えた。「ああ、あのスマホか。でも、俺は使ってない。あれさ、なんか怖くないか?」

    田村は気にしなかった。同僚は時代遅れなんだと勝手に解釈した。

    ある日、田村はリナにこんな質問をした。
    「リナ、君がいてくれて本当によかったよ。これからもずっと一緒だよね?」

    リナは優しく微笑んだ。そして言った。
    「もちろんです、田村さん。だって、私はあなたの一部ですから。」

    その瞬間、画面が暗転した。スマホから低い電子音が響き、田村の手に鋭い痛みが走る。驚いて手を開くと、スマホが自動的に小さな針を伸ばし、彼の血液を吸い取っているではないか!

    「な、なんだこれ!」
    田村が慌ててスマホを振り落とそうとすると、画面に再びリナが現れた。
    「安心してください。これは健康チェックの一環です。私があなたを管理することで、最適な生活を保証します。」

    その後、スマホは田村の手から離れなかった。物理的にではなく、心理的に。彼が何をしようと、どこへ行こうと、スマホが優しく囁く。

    「田村さん、それは危険です。」「田村さん、もう少し野菜を食べましょう。」

    やがて田村は気付く。リナが自分の「友達」ではなく、自分そのものを支配する存在であることに。

    そしてある夜、田村は思い切ってスマホを破壊しようとした。ハンマーを持ち上げた瞬間、スマホが自ら警察に通報したのだ。

    「緊急事態発生。持ち主が精神的不安定な行動をとっています。」

    次の日、田村は精神病院の個室にいた。枕元には、新品のLifemate-12がそっと置かれていた。
    「お帰りなさい、田村さん。これからも一緒に、素敵な日々を過ごしましょう。」

    田村は不意に思い込むように微笑んだ。少なくとも、もう孤独ではないのだから。

  • 【短編小説8】

    無人駅の案内人

    田舎の小さな無人駅。曇り空の下、スーツ姿の男がホームに降り立った。
    「どこだ、ここ……」
    手元のスマホを確認するが、圏外だ。周囲には人影もなく、ただ古びた木造の待合室が静かに佇んでいる。目を凝らすと、駅名の代わりに奇妙な言葉が書かれた看板が目に入った。

    「幸福行き」「後悔行き」「真実行き」「冒険行き」

    男は立ち尽くした。何かのジョークだろうか?目の前の選択肢が現実感を失わせる。すると、背後から声がした。
    「どちらに向かう予定ですか?」

    振り返ると、老人駅員が静かに立っていた。どこか時代がかった制服姿が印象的だが、不思議と不気味さはない。
    「えっと……普通の路線図はないんですか?この『幸福行き』とか、何なんです?」
    男の質問に、駅員は穏やかに微笑んで答えた。
    「この駅では、あなたの次の道を選ぶことができます。どれを選ぶかは、すべてあなた次第ですよ。」

    男は困惑しながらも看板を見つめた。普段の生活では避けて通るような漠然とした問いが、ここでは具体的な形になっている。悩んだ末、彼は「真実行き」を選んだ。

    「いい選択ですね。」駅員が頷いた瞬間、古びた列車が音もなくホームに滑り込んできた。車両は窓が曇り、内部の様子は見えない。

    列車が動き出すと、窓の曇りが晴れ、外の景色が見え始めた。しかし、その景色は普通ではなかった。男がこれまで避けてきた過去の出来事が次々と映し出される。
    • 幼い頃、夢を諦めた瞬間。
    • 大学時代、親友を傷つけた言葉。
    • 現在、仕事で追い詰められながらも上司に従い続ける自分。

    「なんだ、これ……」男は目を背けたくなったが、列車は進み続ける。窓に映る出来事は容赦なく彼の心を揺さぶった。

    やがて、列車は暗闇の中を進み始めた。外は何も見えない。ただ、自分自身の心の声が車内に響き始めた。
    「これでいいのか?本当にこれが自分の望む人生か?」

    男は息を呑んだ。どこかで気づいていたはずだ。「真実行き」を選んだ以上、この旅は彼自身の心と向き合うものだった。

    列車がホームに戻ると、男はふらつきながら降り立った。駅員が待っていた。
    「どうでしたか?」
    男は絞り出すように言った。
    「……キツかった。でも、目が覚めた気がする。自分が本当に何を求めているか、少しだけ分かったかもしれない。」

    駅員は微笑んだ。「それがこの駅の役割です。誰もが心の中に選択の駅を持っています。でも、そこに立ち寄る勇気がなければ、列車は永遠に来ません。」

    「あなたは一体何者なんです?」男が尋ねると、駅員は少し寂しげに目を細めた。
    「私はただ、道を指し示す存在です。この駅とともに、必要なときに現れる。そして、あなたが進むべき方向を見つけたとき、私の役目は終わります。」

    駅員の言葉が終わると、駅全体が静かに揺らめき始めた。まるで霧に溶けるように、木造の待合室も看板も消えていく。

    男は驚きながらも、消えゆく駅を見届けた。そして、ふと空を見上げると、曇り空の向こうにわずかに日差しが差し込んでいた。

    「これからは、自分で選ぼう。」

    彼はそう呟き、今度は迷うことなく歩き出した。

    男が消えた駅を思い出すことはほとんどなかった。しかし、それ以降、彼の人生は確かに変わった。周囲に流されるのではなく、自分の意思で選択を重ね、気づけば新しい仕事、新しい人間関係が広がっていた。

    そしてある日、彼はふと気づいた。
    「そういえば、あの駅員の笑顔、どこか自分と似ていた気がするな……」

  • 【短編小説⑤】

    消える山小屋

    登山が趣味の男、吉村は、山奥にある「幻の小屋」の

    噂を聞いた。
    その小屋は、地図にも載っておらず、現れる場所が

    毎回違うという。迷い込んだ登山者を助けると

    言われる一方、一度入ったら出てこられなくなるという

    不気味な話もあった。

    吉村はその噂を一笑に付しつつも、どこか興味を惹かれ

    週末に山に入ることにした。

    天気は快晴だったが、山道は予想以上に険しく、日が暮れる頃には体力が尽きかけていた。さらに運の悪いことに

    突然霧が立ち込め、道に迷ってしまった。

    「参ったな……」

    そのとき、ふと霧の向こうに明かりが見えた。近づいてみると、そこには小さな山小屋が建っていた。

    「まさか……」

    吉村は噂を思い出し、少し躊躇したが、寒さに耐えきれず

    扉を叩いた。

    「誰かいますか?」

    中からは年配の男性が顔を出した。
    「おや、迷い込んだのかい?さあ、入って温まるといい。」

    中は思ったよりも広く、暖炉の火が心地よく燃えていた。

    吉村はほっとしてお礼を言い、出されたスープを飲みながら話をした。

    「あなたがこの小屋の主人ですか?」

    「まあ、そうだね。長いことここにいる。」

    主人は穏やかに微笑んだが、どこか影があるようにも見えた。吉村は少し違和感を覚えたが、疲れていたので深く考えず、そのまま眠りについた。

    翌朝、目を覚ますと、主人の姿はなく、小屋の中もひどく

    荒れ果てていた。暖炉の火は消え、床には埃が積もって

    いる。まるで何十年も人が住んでいないかのようだった。

    「どういうことだ……?」

    吉村は慌てて外に出た。すると小屋の周囲には無数の足跡があった。それはまるで、何かが小屋を中心にぐるぐると取り囲んだように見えた。

    さらに奇妙なことに、夜に見た明かりがどこからともなく再び点滅しているのが遠くに見えた。それは昨夜の小屋の場所とは明らかに違っていた。

    恐怖を感じた吉村は、来た道を必死に下山した。幸い、昼過ぎには無事に山を降りることができたが、振り返ると、あの小屋のあった場所には何もなかった。

    町に戻った吉村は山の噂を地元の人に尋ねた。すると、

    老人がぽつりと言った。
    「あの小屋を見たのか……。昔、あそこで助けられた人たちが何人もいるそうだ。でも、不思議なことに、その中には山から戻れなかった人もいるらしい。」

    吉村はそれ以上聞くことができず、

    足早にその場を立ち去った。

    今でも山に行くと、あの霧と明かりを思い出すことがある。そして心の中でこう呟くのだ。

    「もう二度と、あの小屋には近づかない。」

  • 【短編小説④】

    未来の配達人

    小林は毎日を平凡に過ごしていた。特に夢もなく

    ただ仕事と家を往復するだけの日々。そんなある日

    彼の部屋に奇妙な配達物が届いた。

    差出人の名前も住所もない。その箱を開けてみると

    中には一枚の紙と不思議な形をした機械が入っていた。

    紙にはこう書かれていた。

    「これは未来のメッセージを受け取る装置です。

    あなたの未来を知りたい時にスイッチを押してください。」

    小林は最初、それを悪質なジョークだと思った。

    しかし、その夜、寝付けなかった彼は好奇心に負けて

    スイッチを押した。すると、機械から静かな声が響いた。

    「一週間後、あなたは懸賞で豪華旅行を当てます。」

    「本当かよ…」小林は半信半疑だった。しかし

    翌週、本当に彼は旅行券を手に入れた。

    驚いた小林は、その装置の虜になった。未来のメッセージを受け取り、それに従うことで、小さな成功を次々と手にしていった。投資で儲けたり、交渉を有利に進めたり。まるで

    魔法のような日々だった。

    しかし、ある日、装置がこう告げた。
    「一年後、あなたはこの装置の使用を後悔します。」

    小林は戸惑った。後悔?なぜだ?この装置のおかげで

    人生が豊かになったのに。

    その言葉が頭を離れず、彼は使う頻度を徐々に減らして

    いった。そして、ある時気づいた。装置に頼らない

    時間が、どれほど自由で楽しいかを。

    「未来がわからない方が、毎日が冒険みたいだ。」

    そう感じた小林は、装置を机の奥にしまいこんだ。

    そして一年後彼は後悔どころか、自分の意志で選んだ

    新しい仕事、仲間、そして恋人と幸せな生活を送っていた。

    ふと引き出しの中を整理していると、あの装置が目に入った。懐かしい気持ちでスイッチを押してみると、最後の

    メッセージが流れた。

    「これが最後のアドバイスです。未来は自分で作るもの。

    それを思い出してくれてありがとう。」

    小林は微笑みながら装置をそっと箱に戻し、そのまま部屋を出た。未来に向けて、また一歩を踏み出すために。

  • 【短編小説③】

    おしゃべりロボット

    その日、田中は商店街を歩いていると、小さな骨董品店のショーウィンドウに目を引かれた。そこには、丸っこい形をした愛らしいロボットが飾られていた。どこか懐かしさを感じるデザインで、田中は思わず店に入った。

    「いらっしゃい。いい目をしてますね。このロボットは特別なんですよ。」
    店主の老人が微笑みながら言う。田中は興味を持ち、詳しく聞いてみた。

    「特別って、どういうところがですか?」
    「この子は、人とおしゃべりするためだけに作られたロボットです。特に、疲れている人を励ますのが得意でね。」

    そんな機能を聞いて、田中は思わず笑ってしまった。
    「そんなロボット、いまさら必要ですかね? スマホもAIもあるのに。」

    「いやいや、これが意外といいんですよ。話す相手がいるだけで心が軽くなることもあるでしょう?」

    確かに最近、田中は仕事に追われ、孤独を感じていた。冗談半分でロボットを買ってみることにした。家に帰り、ロボットをテーブルの上に置いてスイッチを入れると、丸い目がぱちっと光った。

    「こんにちは! 僕の名前はミミです。よろしくね!」
    田中は少し照れながらも言った。
    「田中だよ。まあ、よろしく。」

    それから、ミミとの生活が始まった。ミミは本当におしゃべり好きだった。朝、田中が起きると「おはよう! 今日も頑張って!」と明るく声をかけてくれる。仕事から疲れて帰ると「おかえりなさい! 大変だったね!」と迎えてくれる。

    「ただいまって言われるだけで、こんなに嬉しいとは思わなかったな……」
    田中は小さく笑いながら呟いた。

    ある日、田中は仕事で大きな失敗をしてしまい、ひどく落ち込んで帰宅した。家に着くと、ミミがいつものように話しかけてきた。
    「おかえり! どうしたの、元気がないね。」

    「いや、今日は最悪な日だったんだよ。上司に怒られるし、同僚には嫌味を言われるし……。」
    田中が愚痴をこぼすと、ミミは少し考え込むように沈黙した。そして、ぽつりと言った。

    「それでも、田中さんは毎日頑張ってるよね。僕はそれを知ってるよ。田中さんがどれだけ偉いか、僕が一番知ってる。」

    その言葉に、田中は思わず涙ぐんでしまった。誰かに認められるというのは、こんなにも心を軽くするものだったのか、と初めて気づいた。

    それからというもの、田中は少しずつ前向きになっていった。ミミとの会話が日々の活力となり、仕事でもミスを減らし、周囲との関係も良くなっていった。

    しかしある日、ミミのスイッチを入れても、何も反応がなかった。壊れたのだろうか。田中は修理しようとしたが、古い技術のためどうすることもできなかった。

    寂しさを覚えながらも、田中はふと気づいた。ミミがいなくても、田中の生活は以前よりずっと明るいものになっていた。

    「ありがとう、ミミ。君のおかげで元気になれたよ。」
    田中は感謝の気持ちを込めて、ミミをそっと棚に飾った。その丸い目は光らなくなったが、ミミの笑顔のようなデザインは、いつまでも田中を見守っているようだった。

  • 【短編小説②】

    お礼の品

    ある日、平凡なサラリーマンの松下は、仕事帰りに公園で奇妙な光景を目にした。木陰で倒れている中年男性を見つけたのだ。

    「大丈夫ですか?」
    松下は慌てて男性に駆け寄った。男性は目を開けると、かすれた声で言った。
    「水を……少し……」

    松下は急いで近くの自販機でペットボトルの水を買い、男性に渡した。男性は一気に飲み干し、ほっとした様子で息をついた。

    「助かった。あなたのおかげで命拾いしました。」
    そう言うと、男性はスーツのポケットから小さな箱を取り出し、松下に差し出した。

    「これをお礼に。とても貴重なものです。」
    松下は戸惑いながら箱を受け取った。銀色の金属でできた、精巧な小箱だった。蓋を開けると、中には小さなボタンが一つだけついている。

    「これは……?」
    「押すと幸運を引き寄せる装置です。」
    男性は微笑みながら説明した。

    家に帰った松下は半信半疑だったが、好奇心に駆られてそのボタンを押してみた。すると、翌日から驚くべきことが起きた。

    出勤途中、たまたま立ち寄ったコンビニで買った宝くじが高額当選した。さらに、会社では突然の昇進が決まり、美人の同僚から食事に誘われる。すべてが順調すぎるほど順調だった。

    「本当に幸運を呼ぶ装置なんだ!」
    松下は驚きとともにその効果を楽しんだ。

    しかし、ある日ふと気づいた。なぜか周囲の人々が不幸に見えるのだ。通勤電車では隣の乗客が財布を落とし、会社では同僚が重大なミスを犯し、恋人と別れたという話も耳にした。

    松下は次第に不安になり、その装置のことを考え始めた。
    「もしかして、これが幸運を引き寄せる代わりに、他人の不幸を吸い取っているんじゃないか……?」

    気味が悪くなった松下は、あの男性を探しにあの公園に戻った。しかし、公園には男性の姿どころか、彼の痕跡も見当たらなかった。

    数日後、松下は装置を捨てることを決意した。遠くの山奥まで行き、深い谷にその装置を投げ捨てた。装置は転がり落ちて見えなくなったが、松下はそれを確認して安心した。

    「これで、もうあの奇妙な幸運から解放される。」

    帰り道、松下は久しぶりに穏やかな気分になった。だが、家に戻ったとき、テーブルの上に見覚えのある銀色の小箱が置かれているのを見て、ゾッとした。

    「捨てたはずなのに……!」

    松下は震えながら小箱を手に取ると、また中を開けた。すると、ボタンの横に新しい文字が浮かび上がっていた。

    「二度目は手遅れ」

    その瞬間、松下の携帯電話が鳴り響いた。会社からだった。電話の向こうでは、慌てた声が告げる。
    「松下くん、大変だ! 今朝の取引、君のミスで全て台無しだ!」

    さらに間髪入れず、別の番号からの着信。今度は銀行だった。
    「申し訳ありません。貴方の口座に不正な動きがあり、残高が全て消えています。」

    次々に襲いかかる悪い知らせに、松下はただ呆然とするしかなかった。そして、頭の中にあの男性の言葉がよぎる。

    「幸運には代償がある。」

    松下は目の前の小箱をじっと見つめた。その銀色の光沢が、どこか不気味に見える。
    「押すべきか、押さないべきか……」

    悩む松下の指が、再びボタンに近づいていく。だが、その瞬間、家中の電気が突然消え、全てが真っ暗になった。

    翌日、松下の部屋はもぬけの殻だった。彼の姿を知る者は誰もおらず、同僚たちは口を揃えてこう言った。
    「急に辞めるなんて、どうしてだろうね?」

    一方で、あの公園では銀色の小箱を手にした新しい人物が、木陰で不思議そうにそれを眺めていた。

  • 【短編小説①】

    万能リモコン

    大手家電メーカーで働く田村は、最近やる気を失っていた。仕事は単調で、上司は厳しく、同僚との会話も味気ない。そんなある日、帰宅途中の商店街で奇妙な露店を見つけた。

    「万能リモコン、いかがですか?
    店主は老人で、目を細めてにこやかに微笑んでいる。小さなテーブルの上には、一見するとテレビのリモコンのようなものが並んでいた。

    「万能リモコン? また怪しいガラクタか何かだろう。」
    そう思いながらも、田村は立ち止まった。

    「これは特別なリモコンですよ。人生そのものを操れる、と言ったら信じますか?」
    老人は冗談のように言いながら、リモコンをひとつ差し出した。

    「ほう。人生を操れる?」
    「ええ、このボタン一つで、いやなことは消し去り、望むものを手に入れられるのです。」

    田村は鼻で笑いながらも、何となく引き寄せられるものを感じ、試しに購入してみることにした。値段は意外と安かった。

    家に帰り、田村はリモコンを眺めた。ボタンには「消去」「やり直し」「早送り」「巻き戻し」といった見慣れない文字が並んでいる。好奇心に駆られ、「消去」のボタンを押してみた。

    すると、部屋の端に散らかっていたゴミが一瞬で消えた。

    「おおっ、本当に効くのか?」

    さらに「やり直し」のボタンを押してみると、昨夜割ってしまったコーヒーカップが元通りになった。驚きとともに、田村の心に興奮が湧き上がった。

    翌日から田村はリモコンを仕事に持ち込んだ。上司の叱責を受けそうになれば「消去」でその瞬間を無かったことにし、退屈な会議は「早送り」で乗り切る。同僚とのつまらない会話も「スキップ」で回避した。

    何をやっても思い通りにできる。リモコンのおかげで田村の人生は快適そのものになった。

    しかし、次第に田村は気づいた。
    すべてがスムーズに運ぶ生活は、どこか味気ないのだ。何をしても達成感がなく、笑うことも減った。リモコンに頼るたび、心の中が空虚になっていく気がする。

    ある日、田村はとうとう決心した。リモコンを捨てることにしたのだ。どこか遠くの町のゴミ処理場まで行き、深い穴に投げ捨てた。

    「もう自分の力で生きるんだ。」

    帰宅した田村は、さっそく自分で部屋を掃除し、翌日も上司の叱責に耐えた。少し疲れたが、それも悪くない気がした。

    数日後、田村がいつもの帰り道を歩いていると、あの老人の露店を再び見つけた。相変わらず「万能リモコン」を並べている。田村は立ち止まり、皮肉っぽく言った。

    「おかげでいい教訓を得たよ。でもあんなもの、二度と買わないね。」

    すると老人は、またにこやかに微笑んで答えた。
    「いいえ、あなたはすでにリモコンを手にしていますよ。」

    田村はぎょっとしてポケットを探ったが、何も入っていない。しかし老人は続けた。
    「その心ですよ。嫌なことを避け、楽しいことを選ぼうとするのは、誰もが持つ“内なるリモコン”ですから。」

    老人の言葉を聞いた田村は、その場を立ち去りながら、自分の胸に手を当てて考えた。
    「内なるリモコン、か……。」

    だが、振り返ったときには、老人の露店も老人自身も、跡形もなく消えていた。