無人駅の案内人

田舎の小さな無人駅。曇り空の下、スーツ姿の男がホームに降り立った。
「どこだ、ここ……」
手元のスマホを確認するが、圏外だ。周囲には人影もなく、ただ古びた木造の待合室が静かに佇んでいる。目を凝らすと、駅名の代わりに奇妙な言葉が書かれた看板が目に入った。
「幸福行き」「後悔行き」「真実行き」「冒険行き」
男は立ち尽くした。何かのジョークだろうか?目の前の選択肢が現実感を失わせる。すると、背後から声がした。
「どちらに向かう予定ですか?」
振り返ると、老人駅員が静かに立っていた。どこか時代がかった制服姿が印象的だが、不思議と不気味さはない。
「えっと……普通の路線図はないんですか?この『幸福行き』とか、何なんです?」
男の質問に、駅員は穏やかに微笑んで答えた。
「この駅では、あなたの次の道を選ぶことができます。どれを選ぶかは、すべてあなた次第ですよ。」
男は困惑しながらも看板を見つめた。普段の生活では避けて通るような漠然とした問いが、ここでは具体的な形になっている。悩んだ末、彼は「真実行き」を選んだ。
「いい選択ですね。」駅員が頷いた瞬間、古びた列車が音もなくホームに滑り込んできた。車両は窓が曇り、内部の様子は見えない。
列車が動き出すと、窓の曇りが晴れ、外の景色が見え始めた。しかし、その景色は普通ではなかった。男がこれまで避けてきた過去の出来事が次々と映し出される。
• 幼い頃、夢を諦めた瞬間。
• 大学時代、親友を傷つけた言葉。
• 現在、仕事で追い詰められながらも上司に従い続ける自分。
「なんだ、これ……」男は目を背けたくなったが、列車は進み続ける。窓に映る出来事は容赦なく彼の心を揺さぶった。
やがて、列車は暗闇の中を進み始めた。外は何も見えない。ただ、自分自身の心の声が車内に響き始めた。
「これでいいのか?本当にこれが自分の望む人生か?」
男は息を呑んだ。どこかで気づいていたはずだ。「真実行き」を選んだ以上、この旅は彼自身の心と向き合うものだった。
列車がホームに戻ると、男はふらつきながら降り立った。駅員が待っていた。
「どうでしたか?」
男は絞り出すように言った。
「……キツかった。でも、目が覚めた気がする。自分が本当に何を求めているか、少しだけ分かったかもしれない。」
駅員は微笑んだ。「それがこの駅の役割です。誰もが心の中に選択の駅を持っています。でも、そこに立ち寄る勇気がなければ、列車は永遠に来ません。」
「あなたは一体何者なんです?」男が尋ねると、駅員は少し寂しげに目を細めた。
「私はただ、道を指し示す存在です。この駅とともに、必要なときに現れる。そして、あなたが進むべき方向を見つけたとき、私の役目は終わります。」
駅員の言葉が終わると、駅全体が静かに揺らめき始めた。まるで霧に溶けるように、木造の待合室も看板も消えていく。
男は驚きながらも、消えゆく駅を見届けた。そして、ふと空を見上げると、曇り空の向こうにわずかに日差しが差し込んでいた。
「これからは、自分で選ぼう。」
彼はそう呟き、今度は迷うことなく歩き出した。
男が消えた駅を思い出すことはほとんどなかった。しかし、それ以降、彼の人生は確かに変わった。周囲に流されるのではなく、自分の意思で選択を重ね、気づけば新しい仕事、新しい人間関係が広がっていた。
そしてある日、彼はふと気づいた。
「そういえば、あの駅員の笑顔、どこか自分と似ていた気がするな……」
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