【短編小説 未来】

未来からの訪問者

和也は、ごく普通の青年だった。特筆すべき才能もなければ、夢中になれる趣味もない。大学を卒業して数年、都内の小さな企業に勤める毎日は、ただ時間が過ぎるだけの単調なものだった。

「このまま一生を終えるのか……」

ふとした瞬間、そんな不安が胸をよぎる。だが、それ以上何をすればいいのかもわからない。そんな日々の繰り返しだった。

ある日、和也がいつものように帰宅し、鍵を開けてドアを開けると、部屋の中に見知らぬ男が座っていた。

「な、何だ!?」

突然の光景に驚いた和也は、思わず声を上げた。

「驚かせてしまったかな?」

男は落ち着いた声で答えた。30代後半くらいの男で、整ったスーツ姿をしている。顔立ちにはどこか見覚えがあった。

「お前、誰だ? どうやってここに入ったんだ!」

「まあ、落ち着け。俺は……そうだな、未来のお前だ。」

「……は?」

あまりにも突拍子もない言葉に、和也は思わず口を開けて固まった。

男は話を続けた。

「信じられないのはわかる。でも、俺はお前自身だ。15年後の未来から来た。」

「そんなわけあるか!」

和也は笑い飛ばそうとしたが、男の顔をじっと見ていると、その目元や鼻筋がどうにも自分にそっくりだと気づく。

「証拠が必要か?」

男はそう言うと、和也が最近誰にも話していない秘密を次々と語り始めた。たとえば、こっそり飼っている観葉植物の名前や、昨晩見た悪夢の内容まで。

「どうだ、これでも信じられないか?」

和也はすっかり言葉を失った。

「で、未来の俺が、なんでわざわざ今の俺のところに現れたんだよ?」

和也が恐る恐る尋ねると、男は真剣な顔つきになった。

「お前、今のままでいいと思っているのか?」

「それは……」

「このまま何もしないでいると、お前は何の変化もない人生を歩むことになる。俺がその証拠だ。」

男は自嘲気味に笑った。

「15年後の俺は、後悔ばかりしている。もっと若いうちに努力していれば、違う人生を送れたはずだと。だからこうして、お前に会いに来たんだ。」

和也は反論しようとしたが、男の真剣な表情に言葉を失った。

「じゃあ、俺にどうしろって言うんだよ?」

「まずは、自分が本当に何をしたいのか考えることだ。そして、それに向けて行動しろ。」

男はスーツのポケットから小さなメモ帳を取り出し、和也に渡した。それには未来の自分からのアドバイスが簡潔に書かれていた。
• 何でもいいから新しいことを始めろ。
• 人に頼るのを恐れるな。
• すぐに結果を求めるな。

「たったこれだけ?」

和也は拍子抜けしたように言ったが、男は首を振った。

「簡単なようで難しいんだ。これをおろそかにした結果、俺は15年後に後悔している。」

それから数時間、未来の自分は和也にさまざまな話をした。自分がどんな失敗をしてきたか、何が足りなかったのかを包み隠さず語った。

「でも、もしお前がここから頑張れば、俺とは違う未来を歩めるかもしれない。」

男は最後にそう言い残し、突然部屋から姿を消した。

未来の自分との奇妙な出会いから数日間、和也は半信半疑ながらも、言われた通りに新しいことに挑戦してみることにした。まずは、以前から興味のあったギターを始めることにしたのだ。

最初は下手くそで、自分に才能がないことを痛感する日々だった。それでも、少しずつ弾けるようになり、やがて友人とバンドを組むことに。

さらに、職場ではこれまで避けてきたリーダー役を引き受け、チームのまとめ役として奮闘するようになった。結果、上司からの評価も徐々に上がり、昇進の話まで出るようになった。

それから数年後、和也はギターをきっかけに知り合った女性と結婚し、充実した家庭を築いていた。仕事でも趣味でも充実感を得る毎日を送る中で、ふとあの日のことを思い出した。

「本当に未来の自分だったのか、それともただの夢だったのか……」

それはわからない。だが、あの日の出来事が自分の人生を変えたのは間違いなかった。

和也はギターを手に取り、穏やかな笑みを浮かべた。

「未来の俺、ありがとうな。」

窓の外に広がる空を見上げながら、和也はそうつぶやいた。

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