小さな奇跡

ある山奥の小さな村に、古い時計屋があった。時計屋は村で唯一の商店で、年老いた店主の新井修一が一人で切り盛りしていた。修一は昔、都会で腕の良い職人として名を馳せていたが、妻を亡くしたのを機に静かな田舎暮らしを選んだのだ。
村にはほとんど人がいない。若者は都会に出て行き、残されたのは高齢者ばかり。店に客が来ることもめったにない。それでも修一は、毎日時計を磨き、小さな作業台で修理をしながら静かな日々を過ごしていた。
ある日、修一のもとに少年が訪れた。その少年、健太は小学校の3年生で、この村に住む数少ない子どもの一人だった。
「じいちゃん、この時計、直せる?」
健太が手渡したのは、ボロボロの懐中時計だった。
「これは……ずいぶん古い時計だな。どこで手に入れたんだ?」
「家の物置で見つけたんだ。おじいちゃんが昔使ってたやつらしいけど、止まっちゃってるんだよ。」
修一は懐中時計を手に取り、慎重に観察した。表面には傷が多く、長い間放置されていたようだったが、職人の目にはそれが精巧な作りであることがすぐに分かった。
「面白い。やってみよう。」
修一はその日から懐中時計の修理に取り掛かった。しかし、時計の内部はサビだらけで、一筋縄ではいかない状態だった。部品のいくつかは完全に壊れており、新しいものを作らなければならなかった。
それでも修一は、どこか嬉しそうに作業を続けた。この村で仕事を頼まれること自体が久しぶりだったからだ。
健太は修一の店に毎日顔を出した。
「まだ直らないの?」
「時計の修理は時間がかかるんだ。焦るな。」
「時間がかかるって……時計なのに?」
その一言に修一は思わず笑ってしまった。
1週間後、ついに時計が動き出した。
「見ろ、直ったぞ。」
修一が健太に時計を手渡すと、少年の顔がぱっと明るくなった。
「すごい! 本当に動いてる!」
健太は嬉しそうに時計を見つめた。だが、その様子を見ているうちに修一はふと疑問に思った。
「そういえば、どうしてこの時計を直したかったんだ?」
健太は少し恥ずかしそうに答えた。
「おじいちゃんが、昔この時計を大事にしてたっておばあちゃんが言ってたんだ。おじいちゃん、最近元気ないから、これを見せたら喜ぶかなって思って。」
健太のおじいちゃんは数年前に大病を患い、今では家に閉じこもりがちになっていた。そんな祖父を元気づけたいという健太の思いを聞き、修一は胸が温かくなるのを感じた。
「いい心がけだ。きっと喜ぶぞ。」
翌日、健太は修一から受け取った懐中時計を持って祖父のもとへ行った。
「おじいちゃん、これ覚えてる?」
祖父はゆっくりと時計を手に取り、驚いた表情を浮かべた。
「これ……まだあったのか。もう動かないと思ってたのに……。」
時計を見つめる祖父の目には、涙が浮かんでいた。そして、それをじっと見つめる健太の顔にも、どこか満足げな表情が浮かんでいた。
その話を聞いた村人たちは、久しぶりに明るい話題ができたことを喜んだ。修一の店にも少しずつ人が訪れるようになり、「昔の置き時計を直してほしい」「父が使っていた腕時計を動くようにしてほしい」といった依頼が舞い込むようになった。
修一は忙しくなったが、それが心地よかった。村の人々の生活に、少しだけでも役立てるのが嬉しかったのだ。
それから数か月後、修一の店の看板の横には、新しいプレートがかかっていた。
「時間をつなぐ時計屋」
村の人々はその看板を見るたびに、小さな奇跡を思い出して微笑んだ。そして健太もまた、修一の店を訪れては「今日は何してるの?」と興味津々に作業を覗き込むのが日課になった。
村の静かな日常は、少しだけ賑やかになった。それは時計の音が響くようになったからか、それとも人々の心がつながったからか。どちらにせよ、この村には確かに小さな奇跡が起こったのだった。
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